目の前で、にわかに花が萎れていった。色鮮やかな花弁はみるみるうちに生気を落とし、重力にひかれて地に頭を垂れる。八意永琳は事もなげにそれを見下ろすと、一瞬だけ同居人へする言い訳を考えた。
竹藪より遠くへ見える紅葉も勢いを無くす十月の早朝。日課の散歩を終えた永琳の視界に写り込んできたのは、庭一面に咲いた草花が枯れ行く光景であった。穢れが無いこの結界内において、一度咲いた花はそのままの姿をとどめるはず。自分の結界に絶対の自信を持つ彼女はぼんやりとそう考え、豊かな銀髪をひとかきする。低血圧ゆえに目覚めの思考の瞬発力は、平時よりやや劣る。それでも手先に伝わる長さはたしかに結界をはった時のそのままだと確信できた。ならば話ははやい。
「どなたかおられるのでしょうか?」
永琳が澄んだ声を庭に投げかけた。しばしの間があって、落ち葉の中から少女がひとり、こちらに背を向けて立ち上がる。金髪と、紅葉を流し込んだような鮮やかなワンピース。背丈は年若き少女のものだったが、たしかにその背後に八百万の影を感じ、永琳は予測が的中していたことを悟った。
「私の結界の効果を破るほどのご利益とは、さぞ高名な神様なのでしょう。お名前をお聞かせいただけませんか?」
「名乗るほどではありませんよ、異邦の民よ」
錆びついた鈴のような声で、少女が答えた。傾けた視線は永琳が苦労して再現した平安時代風の庭園を眺めており、詳しい表情はうかがえない。風に揺れる金髪に刺さった紅葉も髪飾りが、日光を受けて瞬く。そうしている間にもまた、庭には死が広がっていた。
「申し訳ないのですが」永琳は横目で色を失っていく盆栽を一瞥して言った。「私とその同居人は、季節の巡りを嫌っております」
塀の向こうでは竹が次々と朽ち倒れる音が響く。そのようですね、と少女は頷き、自らの足元の落葉を拾い上げた。同じような色合いのスカートが地に水平に広がる。縁側に立ち尽くしたままの永琳はただ、同居人が目覚めた時の言い訳を考え続けていた。そうして互いにしばし無言を続けたのち、ようやく少女が立ち上がり、はっきりと永琳を見つめた。
「私は、この子たちと里中を廻っている途中です」
夕日を溶かした瞳で、少女は言った。それと同じく太陽色の髪が、永琳の注目を奪う。密かに脳内で同居人の髪型を変えて遊びはじめた彼女をよそに、少女が続けて口を開いた。
「豊穣の秋に終焉がいるのと同じように、いつかは誰もが土に還らねばなりません。たとえ住む場所を移れども、いつでもあなたの足はそこに着いているのですから」
ここで少女はおもむろにスカートの端を掴むと、白い太ももが見えるほどに片手で持ち上げ、地面の落ち葉を袋状のそこに入れ始めた。
「いずれ終わりがきます。でも、それは次の春のはじまりでもあるのです」
「誰かが手を加えたら、それは崩れませんか?」
ぼうと少女を眺めていた永琳が、口をはさむ。少女は落ち葉をまたひとつ手にとって笑った。
「一人ぼっちの世界ならば、そうですね。でも、誰もがだれかと肩を寄せ合っているのですよ」
では、と手をあげて、少女はいつのまにか消え去っていた。落葉がきれいに掃除された庭から視線を外し、永琳は盆栽を見つめる。
「うん。姫に短髪は似合わない」
朽ちて倒れかけた盆栽の枝が、隣の枝によってまだ天を向いていた。
了