「さぁ、早く目を開けろ。耳をかっぽじれ。漆黒に溶け込むことは、お前には許されていない。勇気を出すんだ。さすればこんな醜い世界なんて、世界最後の最強妖怪たるトキコちゃんだったら、たやすく溶かして仕舞えるだろう?」
そんな言葉を聞いて、目覚めたら、世界は漆黒に包まれていて、暗い部屋。
図書室の奥深くに放り込まれている埃だらけの黒い本のような壁、積み上げられていくティッシュのような白濁液のプール、扉の向こうから聞こえてくる、原始的無形者の咆哮。
私は昨日の夜は家で完全無欠のハッピーエンドな本を読みながら寝たはずで、だからこんな夢をみることが信じられなくて、糞下らないバッドエンドの本なんて私は嫌いだった。
私はハッピーエンド主義者なのだ。
ごらんよ、ほら、目の前にはこんなに美しい人形が。
目の前にはこんなに美しいウンディーネのプリンセス。
白濁液の中を泳ぐ綺麗な蛇は、ウロボロスのがさいしょう。
しかしまぁなんというかそんな幻想は唾棄されるべきものらしく、思い浮かべど出てこない。明晰夢にしてはおかしいぞ。明晰夢というのはもっと素敵なもので、最高のレイプ、最高の永遠、最高の舞空術が楽しめるものじゃなかったのか。
だって夢なんだから。
「おいおいおいおいおいおいいっつまで黙ってんだよ~黙ってんですかぁ~」
望んでもいない謎悪魔が顕現。お前にどういうのがあるんだよ権限。私はラッパーじゃねえよ献言。
よくよく壁に浮かび上がった紋様を見ると、昨日紅魔館の図書館に遊びに行ったとき、そこらへんを大量にうろちょろしていた小悪魔達とカラーリングがとても似ている。
しかし似ているのは全身のデザインのカラーリングだけで、御伽話や英雄譚に出てくる怪物のように、影に溶け込み、血みどろの姿、そのさまはまさに世界を司る悪のように思えた。
「うるさいわね、私に何の用?」
悪魔相手に引け腰で対応するなど愚の骨頂。骨董品じみた神話の中のその考えを持って、私はまるでイエス・キリストのごとく対応をする。
そうだ、ここは幻想郷。
いつなんどき訳ワカメなことが起きてもおかしくないわけだ。
へっへーん、くだらないね、面白く無いね、そうとわかれば問題ない。
私が以前いた場所は、決まった時間にご飯が出て、決まった時間に用務員が来た。なんかの研究員と引き合わされたこともあったな。
私はろくに本も読めなくて、というか仲間なんて一人もいなくて、毎日孤独に泣き続け、それで朱鷺、お前は。
それと比べればくだらない、なんて面白いところだろうここは。
なんかすげーうめいてるじゃんさっきから遠吠え。
ちょーグッド。ちょー面白い。
私がニヤニヤしていると、暗闇に溶け込んだ悪魔もニヤニヤと笑っていた。
「ふ、ふへへ、ふふっ、うぶぶぶ、ぶぶぶぇ、ぶぇぇぇぇぇ、ぶえぇぇはへへははえへへはへえぇぇぇぇ!?」
「あはっ、あははははははっ、うひいいい!」
世界全てに響くような、がうがうとした叫び声。
だから私も笑い返す。
この世はなんて素敵なコメディなんだろう。そう考えながらスキップを始める。
まずは目の前の扉を開ける。
大体わかったんだ。
これは、悪魔の迷宮だ。
悪魔が私を閉じ込める。
なんかやばい怪物がいる。
私はそれで気が狂う。あとエロイ展開になる。
悪魔はそれを見て喜ぶ。
細長い水たまりのある已然として薄暗い通路を歩いて行く。
そんな感じの、極めて古典的なポルノ。
あれだ、たぶんこれを鑑賞している人間もいる筈。
うむうむ、悪魔なんてセックスの象徴ですよ。
大丈夫大丈夫、ちょっとよがれば物語終了っしょ。そんで私は自由の身。私がほしがるのは自由のみ!!
「っくっ、くくくくくけけけ、くぅぅぅぅぅぅぅ! ああははぁぁぁぁぁぁ……」
ずっとついてきた壁の怪物が吐息を漏らすと、しゃーっと壁から黄色い液体。
きたねえなおいこの小便女郎、カテーテルでも突っ込まれやがったのかカテーテル。
「いつも思うんだよ、私」
さっきまでの世界全体に響くような叫び声ではなく、透き通ったメゾソプラノ。
なんだこいつ、気持ち悪いな?
そしてなんだこの地響き。
通路全体が揺れている、ような?
これは……あの部屋から!?
一瞬でくるくると頭が回る。
あの白濁液は、欲望の王子様か!!!
私は走りだす。
「なんでお前らっていつもこうなんだ? なんでお前らっていつもハッピーエンドなんだ? そのくせなんで私ってバッドエンドなんだ? 糞下らないハッピーエンド至上主義者、私が殺す! パセリとハンバーグの付け合せで殺す! パセリおいしい!」
だんだんと激情が入っていく。麗しいメゾソプラノが、だんだんと歪んでいく。
金切り声を上げたり、頭のイカれたデスヴォイスを発したり、かと思えば私の耳元でウィスパーボイス。
これはやばいよ、尋常じゃないよ。
やべぇ……。
キチガイだ……。
私は走るスピードを上げる。
「いつまで私は恋こがれなきゃいけないんだ! 太陽の小町エンジェル! 紅茶に小便を入れたこともあった! リンスに愛液を混ぜて妊娠させたこともあった! 椅子に媚薬をたっぷり塗ったこともあった! 本が黴びているのは咳をするあのお方が可愛いからだ! 髪の毛は拾って大事に保管してある! 匂いがちゃんと蘇って、まるでコンピュータグラフィックスなんだそれが! ハッピーエンドなんて所詮戯言だ! バッドエンドしかありえない! 全てのハッピーエンド至上主義者は思い知るがいい! 全ての恋人は分断剣によって分断される! 全ての幸せな終わりは不幸の始まりだ! さあ、振りかかる不幸に感謝しろ! 私こそが……」
目の前に壁が現れた。
「王だ!!」
いや、違う。
化物だ。
私の数倍はある背丈。異常に膨張した筋肉。
十本の手で斧を持ち、一見人間の容貌でありながら、その顔には大穴が開いているようで、覆い隠された布がへこんだり膨らんだりしていた。どこの異次元殺法だ。
ぶち抜いたのはどうやら蹴りでらしい。
全身裸だ。
というか、男性器がない。
……冗談じゃない何がポルノだ、殺す気まんまんじゃないか!!
というか地響きってこいつだったのか、私はずっとこいつのほうに向かってたのか!? とんだ馬鹿だ!
いやでも、だが少し待て。
後ろの方にはあの部屋しかない。
暗いとは言えいちおう私は妖怪、暗闇には慣れていて、あの部屋に別の抜け穴などはないことは確認している。
やってやる!
私だって妖怪だ!
バッドエンドなんて糞下らないことを!
この迷宮を!
あるいはすべての理不尽を!
砕いて蹴って吹き飛ばし!
このキチガイ悪魔に知らせてやろうじゃないか!
あれ? 悪魔さんはどこいったんだ? いないや、まいっか。
爪を妖力によって一瞬で伸ばす。殺意に反応したのか、盲目の情性欠如者はぶもおと吠えて、私に斧を振りかぶった。
ううう。
こひゅう、こひゅうという吐息が、食いしばった歯から漏れる。
少しだけでも前に向かって歩くが、全身に突き刺さった斧が重い。
だが、抜いたら、この寒さのせいでどうにかなってしまいそうだった。
昔のゲームであったじゃん、刃の付いた鎧。
自動反撃してくれる感じだったんだけど、スゲー使い勝手悪くてさぁ……。
「面白いな」
うじゅる、うじゅるという音がしてふりかえる。
「これで記念すべき365回目だけれど」
歌うように呟くメゾソプラノ。彼女が乗っているのは、巨大な白濁液の怪物。スライム。ゼラチナスマター。
微妙に黄色味がかっているのは、あれか。
さっきの、小便か。
あれは、こいつをおびき寄せるための、フェロモンかなんかか。
あるいは、そういういいわけか。
ははっ、くだらないくだらないな、本当にくだらない。
叶わぬ恋の八つ当たりなんて私にすんな。
「あんた、毎回私が同じ反応をしたら、ずうっとおんなじ思考回路。行動パターン。行動経路。思考時間。そろそろパターンを変えてやってみようかなと思ってたところ。一周年だしね!」
ぎょろ、と、津波のようなその体の中に入ったその目玉が私を捉えた。
その瞬間、ぞわっと! 体中を悪寒が駆け巡る。
「私を……どうするつもりよ……結局……あんたらってそういうアレでしょ……八つ当たり……くだらない……くだらないよ……くだらない……だから嫌いなんだ……私のことを理不尽に虐げやがってクソ巫女どもが……」
「うん? 新反応。ちゃんと回数重ねれば違いが出るんだなこのシステム。安心したよ。じゃあまた頑張ってね」
「バッドエンドなんて……バッドエンド至上主義者なんて……!!!!!!」
私は濁流に飲み込まれた。