「というわけで斬ってちょうだい。ほらずばっと」
紅魔館の埃臭い地下図書館で、パチュリー・ノーレッジは腕を大きく広げて身を差し出していた。差し出された形になる魂魄妖夢は、目をパチクリさせながら慌てて首を振る。
「いやいやいや! その前にきちんと、どういう状況なのか説明してくださいよ!?」
「むぅ、面倒ね。心眼とか使えないの?」
「あれは人の心を読むものじゃないですって」
「どっちでもいいわ、とにかく迷ったら斬るんでしょ貴方?」
「まぁ迷うぐらいなら斬ればわかるとは教わりましたが……で、なんでわざわざ私を呼んで斬って貰おうだなんて?」
妖夢の問いに、パチュリーはやや言いにくそうに口淀みながらも、話し始めた。
「……つまり、私は迷ってるのよ」
「はぁ……」
それは最初にも聞いたことだ。
「で、迷いを断ち切るためにはその腰に下げたのが必要だって聞いたのよ」
「そんな何でも屋みたいな扱いにしないでよ!」
「何でも屋じゃないの? 庭師に剣術指南に料理番に異変解決」
「事実だけ見たらそうですけど……違います!」
「ま、なんでもいいわ。報酬だってあるんだから早く斬りなさいよ」
「報酬、ですか?」
「これよ」
パチュリーが指差した先には、いつの間にか銀色のワゴンに乗せられた、カボチャ色の鮮やかなクリームたっぷりのケーキがワンホールあった。白玉楼では見慣れない西洋陶器のティーセットも置かれている。
「咲夜が外の世界のレシピ本を見て作った、特製パンプキンケーキと紅茶のセットよ」
「お、おいしそう……」
思わず妖夢は、ごくりと喉を鳴らす。主人である西行寺幽々子はなんでも食べるが、そもそも食べ物の買物先となる人間の里でこのようなケーキはまず売っていない。甘味となれば羊羹や饅頭などの和菓子が当たり前で、食べたことはほとんどない。
「私の迷いを見事断ち切ったら、ケーキの半分をあげましょう」
「……なんとなく、はいと言って良いか迷いますが……」
「別に世界の半分と言ってるわけではないのだし、諦めてはいと言いなさいな、ほら」
「うっ……仕方ありませんね。じゃ、ちょっとこちらに来て下さい」
スペルカードのように衝撃波や弾幕が出るわけではないが、楼観剣とてそこそこの長さはある。刃物を振り回すことになるのだからと、妖夢はパチュリーを移動させ、周囲に障害物の無い場所に置いた。
準備は出来た。あとはすっと斬るだけだ。
息を整え、心を落ち着かせ――
「ちょっと待ちなさい、……本当に斬るの?」
構えた瞬間、パチュリーに止められた。出鼻を挫かれた思いで、妖夢は抗議する。
「だってそれで誘拐同然に連れて来させたんじゃないですか! 買物途中だったのに……」
そうだ、人間の里で買物をしていたら突然十六夜咲夜に捕まって、あれよあれよという間に気が付けばこの薄暗い図書館にいたのだ。そこまでされて今更やっぱり止めました、では割に合わない。
「わかったわかった、じゃ、間違っても服とか斬らないように」
「この白楼剣、迷いは斬っても服は斬りませんよ」
パチュリーが目を閉じたのを覚悟したものと見て、妖夢は構える。
「いきます」
足を一歩踏み込んで、
「――ふっ」
剣圧に軽く風が生まれ、しかしそれだけだった。
振り抜いた楼観剣は何事もなくそこにあり、斬られた当人が恐る恐るといった様子で目を開けると、やはり先ほどまでと変わらぬ自分がそこにいた。
「どうですか?」
「……迷いはちゃんと斬ったのよね、これで?」
身体をあちこちさすってみても、服には綻び一つ無い。
それを満足そうに妖夢は見て、
「ええ、人間相手の物ですけど魔女の迷いにも効くはずです」
「そう。じゃ、それを信じて、お茶にしましょう。報酬のケーキよ」
「それで、迷いってなんだったんですか?」
和菓子にはない溶けるような甘さに舌鼓を打ちつつ、妖夢は尋ねた。
パチュリーは紅茶をすすって口の中のクリームを洗うと、
「この美味しそうなケーキを食べるか否か」
「…………はい?」
「全部食べてしまってはカロリーオーバーだし、かといって折角のケーキを食べないというのは嫌」
「はぁ……で、食べる方に迷いが吹っ切れた、と」
「ええ、食べる量を半分にすればカロリーも半分になる計算だから」
「それって斬った意味無いじゃないですか!」
おわり