挨拶
ちりんという音は、扉につけている鈴のものだ。僕はそれがあまり好きではない。集中して字を追っているとき、思索に耽っているとき、それは邪魔にしかならない。本当は外してしまいたいけれど、僕は思索家である前に読書家である前に商売人なのだから仕方がない。
一度扉へと眼を向けた。もしもおとなしい客であったなら、放ってしまって、また読書に戻ろう。
「お今日和」
残念ながら、放っておいていい客ではなかった。
「やあ紫。こんにちは」
僕は観念して本を置き、彼女に向き合った。もう家では早くもストーブが活躍しているというのに、彼女は日傘を持っていた。
「今日の日差しはそんなに強いかい」
「妖怪の身ですから。太陽は肌に毒なのですわ」
見せ付けるように頬に手を当てる。絹の長手袋に劣らぬほどに白い肌は日本人離れしている。彼女は洋装を好んで着るが、もしかしたら彼女の生まれによるものなのかもしれない。八雲紫という妖怪少女について僕にわかることなんて高が知れているし、あまり追求したくもない。ある狂人は深淵を覗けば深淵に覗き込まれると言った。至言である。
しかし、見た目魔理沙よりも幼い少女の姿をしたものが――僕は彼女が妙齢の女性の姿をとることができることを知っている。見たことはないが――あからさまに、誑かすような仕草をしてくる。まったく精神衛生的に好くない。
好くないので、諫める意味で僕は軽口で彼女を牽制する。
「しおらしいことをいうね。君が」
「あら。私、しおらしいですわ。淑女ですもの」
「淑女なら自分をそうは言わないだろう。しかし、君は存外、古い価値観を引きずっているのだね。意外だよ」
昨今の幻想郷における少女の暴れっぷり(人妖問わず)は今更語るまでもないだろう。彼女らは好きなように生きていて、貞淑など求めるべくもない。
紫は日傘の柄を机にかけ、僕の顔を覗きこむように顔を近づけた。目一杯背伸びをしながら、それを気づかせないように。
僕の視界が、紫の顔で埋まる。彼女は薄く笑っている。それ以外を見せるつもりなんてないように、彼女はいつでも笑っている。
「だって、そういうの、お好きでしょう?」
まったく、彼女の真意は深淵のそれだ。何かがあると仄めかしている。しかしそれは罠なのだ。それが深淵のやり方なのだ。僕は狂人にはならない。
眼を閉じて答えた。
「さてね。ただ、求めても得られないものがあることを弁えているつもりだよ」
「もう、いやな人」
紫の顔が離れるのを感じたあと、僕は眼を開けた。
「今日はご挨拶に参りましたの」
言葉の意味を把握するのに時間が掛かった。僕は怪訝な顔をしなかっただろうかと少しだけ心配した。「何の挨拶かな」などと口にしようものなら、彼女は薄紫の瞳を三日月のようにゆがめて僕をなじっただろう。「ひどいわ」とかいって。何がひどいのか、僕に問うことも許さないで。
「ああ、もうそんな時期だったんだね。年々秋が短くなっていくように感じるよ」
紫は少しだけ不満げだった。
「ぎりぎり合格にしてあげましょう。でももうストーブを出しているのですから、もっと早く気づくべきでしたのよ?」
「あいにく、太陽の明るさにも気づかない出不精でね……」
紫はすっと背筋を伸ばして、深々と頭を下げた。妖怪の賢者であろうと、いやそうであるから、挨拶は礼儀正しかった。
「今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いいたしますわ」
彼女の冬眠前の挨拶は今年最後の挨拶。
新年の挨拶だった。
「こちらこそ。来年もよろしくお願いします」
僕は商人だ。客から挨拶されたのだから、椅子に座っているわけにはいかない。立ち上がり、しっかりと礼儀を尽くす。
毎年のことだ。何故か彼女は毎年僕のところに挨拶に来る。彼女は常連とは言い難い。極たまに骨董品を手に提げて、売りに来るときもあるが、ほとんどはひやかしだ。商品を買ってくれたことはない。彼女にとって僕の店は魅力的ではないのだろう。
なのに、いつのまにか彼女の挨拶が恒例行事となっていた。もうどれだけ繰り返したか、僕は覚えていない。
しかし、下げた頭をあまり上げたくないことは覚えている。
彼女は挨拶の後、僕の目を見て必ず――
「あら、逢引のお誘い?」
冬の間忘れられないような、怪しい笑みを向けてくるのだ。
「……商いのことですよ」
「あら残念」
これもまた、決まりきったやり取りだった。
僕は椅子に深く座り、さっきまで読んでいた机の本に手を伸ばした。もちろん読むのではない。しかし、そろそろ読書に戻りたいという仕草のつもりだった。しかし本当のところ、何かに触りたくなっただけなのかもしれない。
「来年は暖かいらしいので、例年よりも早く目覚めるかもしれませんわ」
「そうかい」
気の無い風に僕は返事をしていた。
例年であれば、彼女はこのまま帰ってしまう。彼女は挨拶をするためだけに来るだけだ。
「では」
彼女は机の日傘に手を伸ばす。
ゆっくりと、見せつけるように。
彼女の手は本に置いた僕の手のほうへと伸ばして。
「お暇いたしますわ。ごきげんよう」
日傘を掴むと、開いたスキマの中にあっという間に消えてしまった。
「やれやれ」
僕は思わず深い溜息をついていた。彼女との会話は、とても疲れる。恒例行事となっても、まだ慣れない。彼女のことがわからない。わかることなどできない。わかろうとしていないだけなのか? わかってしまったとき僕はどうなる?
「狂人はどうして狂人となったのか」
寒い風が入り込んだ。彼女は扉を完全には閉めなかったらしい。
閉めに扉へと歩いて、ふと、そのまま外に出てみた。思ったよりも太陽はまだ高くにあった。風は冷たいが、なるほど、太陽の光は暖かい。
思えば、まだ晩秋なのだ。本当に寒くなるのはこれからだ。
僕は扉を閉めて、また椅子に戻った。読書を再開したが、まるで身が入らなかった。
この本は春になるまで積んでおくことにした。これもまた、恒例行事だった。
●『挨拶』 Ministery氏
かじつ@参加 (2012-11-18 00:03:55)
どぞー。
生煮え@参加 (2012-11-18 00:04:11)
好感触でした
水無月海月 (2012-11-18 00:04:17)
これ、失格って表明してるのに
ぴす@参加 (2012-11-18 00:04:29)
しっかり参加してるw
生煮え@参加 (2012-11-18 00:04:42)
ただ秋らしさは薄いかな
這い寄る妖怪@参加 (2012-11-18 00:04:55)
季節は舞台設定ですね
這い寄る妖怪@参加 (2012-11-18 00:05:14)
しかしもうお前ら祝言あげろよ
生煮え@参加 (2012-11-18 00:05:39)
miniさんと霖之助は相性がよい
かじつ@参加 (2012-11-18 00:05:41)
Miniさんの作品って,真面目に読んでみると良いよね。
生煮え@参加 (2012-11-18 00:05:45)
ww
這い寄る妖怪@参加 (2012-11-18 00:05:58)
まじめに読まないほうがいいのとは一体
南瓜@参加 (2012-11-18 00:06:01)
寒くなる時期→紫から燃料を買う時期なので、設定と結びついていると思います
ぴす@参加 (2012-11-18 00:06:04)
あれ? なに? 人格の感想(戸惑い
かじつ@参加 (2012-11-18 00:06:09)
冬眠前に秋の挨拶というタイミングがいい。
水無月海月 (2012-11-18 00:06:17)
短編でしかもオリキャラ(?)の自問自答とはこれいかに
水無月海月 (2012-11-18 00:06:58)
上から15行目の――の使い方はどうなのかしら??(素朴な疑問
ぴす@参加 (2012-11-18 00:07:05)
オリキャラ(?)だったのか
南瓜@参加 (2012-11-18 00:07:06)
霖之助の方がむしろ狂人的?
かじつ@参加 (2012-11-18 00:07:17)
霖之助オリキャラちゃうw
南瓜@参加 (2012-11-18 00:07:26)
オリキャラ?
水無月海月 (2012-11-18 00:07:53)
ごめん、わからなかったw
水無月海月 (2012-11-18 00:08:30)
ごめんなさい解決しましのた
生煮え@参加 (2012-11-18 00:08:34)
これ読みながら、這い寄るさんがジェネに投稿した作品が頭をよぎった
生煮え@参加 (2012-11-18 00:08:53)
15行目とかはそのへんかなぁと
かじつ@参加 (2012-11-18 00:08:59)
ところでMiniさんが修正施した個所はどこだったのだろう。
南瓜@参加 (2012-11-18 00:09:22)
当たり障りの無い会話というか、紫的回りくどい話で何故ここまで霖之助が考えるんだろうと思いましたが
Ministery@失格 (2012-11-18 00:09:23)
お今日和のところ
水無月海月 (2012-11-18 00:09:34)
キチガイは自分をキチガイと思っていないからキチガイ
かじつ@参加 (2012-11-18 00:09:39)
けっこう始めのほうだった。
南瓜@参加 (2012-11-18 00:09:58)
狂人(何故か変換できない)にならないと有る辺りでむむむと
水無月海月 (2012-11-18 00:10:17)
内容的にはたいしたことない感じ
這い寄る妖怪@参加 (2012-11-18 00:10:27)
「毘沙門天がオススメしない古道具屋」?<私がジェネに
かじつ@参加 (2012-11-18 00:10:28)
色々考えていること自体が霖之助なりの自覚のない紫への好意を間接的に示しているものなのかと思ったが。
生煮え@参加 (2012-11-18 00:10:43)
ですね >ジェネ
南瓜@参加 (2012-11-18 00:11:07)
霖之助の考えがイマイチ掴めなかったのですが
南瓜@参加 (2012-11-18 00:11:23)
あえての演出なのかなと
這い寄る妖怪@参加 (2012-11-18 00:11:32)
自覚はないけどゆかりんにどっぷりですよね、この霖之助
かじつ@参加 (2012-11-18 00:11:47)
自覚ないから延々と考えているんじゃないのかな。
生煮え@参加 (2012-11-18 00:12:41)
それをわかってて、紫も弄んでる感じの構図ですかね
南瓜@参加 (2012-11-18 00:12:46)
なんで紫の事をこう考えているのかを思えば、どっぷりとは見えます
生煮え@参加 (2012-11-18 00:13:13)
紫も好意を抱いているのは確実ですが
水無月海月 (2012-11-18 00:13:52)
んー好意的に解釈するなら六行目の「放っておいて~~」の解釈しだい
水無月海月 (2012-11-18 00:14:14)
残念だがって言い訳してるのかしら
這い寄る妖怪@参加 (2012-11-18 00:15:11)
僕は狂人にはならないがね、霖之助式ツンデレすぎてもうw
生煮え@参加 (2012-11-18 00:15:23)
言い訳だとしたほうが面白そう
南瓜@参加 (2012-11-18 00:15:32)
それに関しては、霖之助にとってストーブ(と燃料)は大切なものなので、別に好意関係なく放っておけないとはとれます
水無月海月 (2012-11-18 00:15:35)
紫へは未知への好奇心止まりな彼
水無月海月 (2012-11-18 00:16:16)
ストーブとは??(無知
南瓜@参加 (2012-11-18 00:16:38)
>ある狂人は深淵を覗けば深淵に覗き込まれると言った
南瓜@参加 (2012-11-18 00:16:41)
>「狂人はどうして狂人となったのか」
南瓜@参加 (2012-11-18 00:17:01)
と序盤とラストにあるので、たんにツンデレでも無いとも
水無月海月 (2012-11-18 00:17:35)
霖之助が嫉妬してるー(焦
ぴす@参加 (2012-11-18 00:17:36)
ま、私はあれです。あの狂うのところだけがなんか変な感じしましたが
かじつ@参加 (2012-11-18 00:17:38)
どのようにも捉えられるようには書かれているとは思う。
水無月海月 (2012-11-18 00:17:52)
結構良い感じに誤魔化してる
南瓜@参加 (2012-11-18 00:18:00)
紫から買わないとストーブの燃料は手に入らないので、ぞんざいに放ってもおけないとは思えます
かじつ@参加 (2012-11-18 00:18:16)
そういえばそうだったね。
ぴす@参加 (2012-11-18 00:18:31)
今の流れで狂うって関係あるん? って感じがした
南瓜@参加 (2012-11-18 00:18:33)
機嫌を損ねればストーブは使えなくなるので
水無月海月 (2012-11-18 00:18:49)
その後のうんぬんをみると、単なる商売仲間じゃないっぽいが……興味?
這い寄る妖怪@参加 (2012-11-18 00:19:01)
それならそれでビジネスライクで割り切ればいいところを妙に思考の袋小路はいってる辺り感情的ではないかと
生煮え@参加 (2012-11-18 00:19:20)
なんかうん、霖之助と紫の会話が小粋でらしい感じだったので楽しめました
生煮え@参加 (2012-11-18 00:19:42)
雰囲気で、まぁいいかなぁと
Ministery@失格 (2012-11-18 00:20:05)
(テーマは迂遠、だから私からは語りません
水無月海月 (2012-11-18 00:20:17)
うむむ そろそろ次なのかしらかししら?
かじつ@参加 (2012-11-18 00:20:20)
ですね。
かじつ@参加 (2012-11-18 00:20:25)
では次へ。