「あれ? おまえ、目が悪かったのか?」
冬の始め。肌寒さが残る人里で、珍しい本を探していた魔理沙は稗田邸に足を運んでいた。
最初の内は物珍しさに目を輝かせていた魔理沙だったが、蔵書が魔法に欠片も関わりそうにないものだと気が付くと次第に興味を失い、結局、飽きて家主たる稗田阿求の観察を始めていた。
そんな魔理沙が気になったのが、阿求が耳に掛けた白い縁の眼鏡だった。
「急にどうしたんですか?」
「ちょっと気になったんだよ」
魔理沙の興味の無さそうな、本当に“気紛れ”で聞いてみたという表情に、阿求は苦笑する。けれどなにかに思い至ったのか、少しだけ楽しそうに笑い直すと、首を傾げる魔理沙に向かってぴんっと人差し指を立てた。
「これは実は……読書を楽しくする秘訣、なんですよ」
「秘訣? ほうほう……詳しく聞かせてくれ」
興味を持って身を乗り出してきた魔理沙に、阿求は小さく胸を張って片目を閉じると、出来の悪い生徒に聞かせるようにゆっくりと話し始める。
「こうして眼鏡を掛けると、ちょっとした変化が訪れます。その変化に気が付くと、途端に読書への楽しさが跳ね上がるのです」
「へぇ? その、“ちょっとした変化”っていうのは?」
「それは……」
阿求はそう言いながら、眼鏡を外す。そしてその眼鏡を、そっと魔理沙に手渡した。
「自分で見つけて下さい」
にっこりと楽しそうに笑う阿求に一瞬呆けてしまう魔理沙だったが、けれどそのぼやけた表情も、直ぐに挑戦的な笑みに変わる。
「上等。直ぐに見つけてやるぜ!」
魔理沙は眼鏡を帽子の中にしまい込むと、庭に飛び出て、箒に跨りそのまま大空へ飛び立っていった。
……と、意気込んできたはいいが、いっこうに読書が楽しめる秘訣というのがわからない。自宅の蔵書、紅魔館の本棚、香霖堂。様々なところで眼鏡を掛けてみたが、視界はただぼやけるばかり。阿求の言う“ちょっとした変化”がなんなのか、検討もつかなかった。
「だー、もう! こうなったら……」
そう叫ぶと、魔理沙は眼鏡を掴んで家を飛び出す。
魔理沙が箒に跨り向かったのは、人里にあるなんの変哲もない古本屋だった。この本屋に飛び込んだのは、当然ながら“ちゃんとした”理由がある。幼い頃から通い詰めたこの古本屋に、魔理沙が読んだことがない本はない。どれもこれも読み尽くした、魔理沙にとって“つまらない本”ばかり。
「ここの本が面白く思えれば良いんだよな?」
そう言って眼鏡を掛けて、ぐるりと周囲を見回す。すると、ただ視界はぼやけるばかりでなにも変わらなかった。
魔理沙はその事実に苛立ちながら、一番近くにあった本を手に取る。どうせ読んだ本、と、半ば自棄くそに本を開いた。
「あれ?」
そこで魔理沙は、初めて、不思議な感覚に囚われる。
「お? おお?」
いずれも見たことがある、読み尽くしたはずの本。だというのに、ぼやけた視界ではなんだかよく解らず、まるで“初めて読んだ本”のような感覚に囚われた。
直ぐに眼鏡を外して読むと、やはり知っている本。けれど好奇心を持ったまま読み返すと、覚えていたモノとは違う内容のように感じられた。
「なるほど、阿求め」
魔理沙はそう、楽しそうに笑うと、眼鏡をかけ直す。すると、ぼやけるばかりだったはずの視界が、途端に楽しげなものに見えた。
後日、阿求にそのことを話すと、阿求は楽しそうに微笑んで一言だけ告げた。
『覚えてしまうのも、良いことばかりではないんですよ?』
――と。
了。