古明地さとりにとって、霧雨魔理沙という少女は“なんと形容して良いかわからない”存在である。
嫌われ者の妖怪たちが隠れ住む、地下奥深くの旧地獄跡。
古明地さとりは、人々に追われてきた妖怪たちを管理する立場にある。
地底の最奥に構えた地霊殿に住み、ペットたちに囲まれて、どこにいるのかわからない妹の心配をする。たったそれだけの毎日を送っていた。
それが永遠に続くということを、さとりは疑ったことがない。なにせさとりは、人々に忌み嫌われた、他者の心を覗く妖怪“覚り”の末裔なのだから。
最早死に絶えた種族。最後の一握りである自分とその妹も、いつまでこうして“平穏”な日々を送れるか解らない。少しでも変化が在れば、たったそれだけで崩れてしまうことだろう。
だから、さとりは望まない。少しの変化も、受け入れられない。
「……はずなのに、なにをやっているんですか貴女は!」
「うるさいなぁ。今私は読書をしてるんだ。静かにしてくれ」
己の回想を真正面から叩き斬った人間、霧雨魔理沙に、さとりは思わず食ってかかる。心を読んでしまえば、如何に異変解決に乗り出すような剛毅な人間でも、たちまち泡を食って逃げ帰ることだろう。
そんなさとりの“当たり前”を斜め横から粉砕したのが、魔理沙という少女だった。
『考えてみれば、読まれるってことは、隠さなくて良いってことだよな?』
そう一言告げてから、魔理沙は毎日のようにさとりの元に訪れるようになった。
ある時は、楽しそうに。
『本が読みたい。読むぜ』
ある時は、ぶっきらぼうに。
『お茶が飲みたい。淹れてくれ』
ある時は、ふてぶてしく。
『夕飯奢ってくれ!』
ある時は、どこかしおらしく。
『なぁ、ベッド借りて良いか? 夢見が悪いんだ』
とにかく魔理沙は、遠慮をしない。
さとりが拒絶すれば、文句を言いながらも帰っていく、さとりが受け入れれば、嬉しそうに自分の欲求をさらけ出す。他所では抑え込んでる本音を、さとりの前ではオブラートに包むことなく話していた。
「魔理沙。貴女はここがどこだか理解していますか?」
「旧地獄だろ? なにを今更」『あ、地霊殿って答えた方が良かったか?』
重なるように聞こえる、心の声。
さとりの言いたいことをわかろうともしない態度に、さとりは眉間に皺を寄せて呻る。
「むぅ……そういうことを言っているんじゃありません」
「嫌われ者たちの住処だから、来ちゃいけないってか?」
「そもそも、地上と地底は断絶されるべきである。それが古くからの盟約です」
「異変で、流れたけどな」
「ぐっ」
そう言われると、さとりとしてもぐぅの音も出ない。
他者に責任のあることならまだしも、地底の異変はさとりの管理下にあったペットによる暴走だった。責任の一端どころか大部分を担っていたさとりが、異変に対してとやかくいう事は出来ない。
思わず悔しげに呻ると、魔理沙は勝ち誇った笑みで一度だけ、頷いた。
『ふっ……勝った』
「勝った……じゃありませんよ、もう」
そうしてまた、ふてぶてしく本を読み始める魔理沙。
そんな魔理沙を見て、さとりは小さくため息を吐いた。
心を読むなどと言っても、さとりの能力はそんなに便利ではない。あくまで読み取れるのは表層意識のみ。それ以上が読み取り体のならば、催眠術で深層意識を引っ張り出さなければ無い。
そうすれば、さとりが常々疑問に思っている“何故さとりの所に通いたいのか”という謎も自然に解けることだろう。けれど、この図々しくも憎めない少女のことが憎めず、そこまでする気は起きなかった。
「私にとって貴女は、どんな存在なんでしょうね?」
ソファーに腰掛けて本を読む魔理沙の、隣に座る。すると魔理沙は本から顔を上げずに、ただ一言「知らん」とだけぶっきらぼうに告げた。
「わかってますよ、もう」
魔理沙に聞いて解ることではない。これは、自分の問題なのだから。そう、さとりは息を吐く。
さとりにとって、魔理沙はどういう存在なのか。妹? 友達? ペット? 敵? どれもしっくり来ず、さとりは首を傾げる。
ここまでは、いつもの疑問だった。
けれどさとりは何故だか今日に限って、もう一つ、聞いてみたくなった。
「貴女にとって私は、どんな存在ですか?」
普段聞かない質問に、魔理沙は答えない。
答えないならそれでも良いだろうと、さとりは心を覗いてやった。
『一緒に居て、落ち着くひと』
よく見れば、魔理沙は耳まで真っ赤にして、本に顔を埋めていた。どうしてだか、さとりは胸がすくような気持ちで、そんな魔理沙を見つめてしまう。
「ふふっ。そうですか」
「うるせー」
「照れなくても良いのに」
赤くなった魔理沙を見ながら、さとりは小さく笑う。
それからほんの少しだけからかいながら、魔理沙の頬をつついてやった。
古明地さとりにとって、霧雨魔理沙という少女は“なんと形容して良いかわからない”存在である。
けれど実はさとりは、そんな“わけのわからない存在”のことを、気に入っていたりする。
了