幽谷響子の一日は命蓮寺の表参道の掃き掃除から始まる。
掃除をしつつ、参詣に訪れた者たちに挨拶を返す。自分から挨拶をする必要はあまりなく、それが響子の心を満たしていた。
「おはようございます」
「おはようございます!」
朝も早くから熱心な檀家たちが寺を訪れ、響子に声を掛けてゆく。返す声には不自由することなく、自然、箒を動かす手にも気合が入ろうというものであった。
深山幽谷において、たまに訪れる者へ声を返していた日々が思い返される。あの頃は無音が生活の大部分を占めていた。多くの時間をまどろむように過ごし、誰かの声が聴こえた時にだけ覚醒するような、そんな日々だった。
「お早うございます」
「おはよーございます!」
響子は笑顔で挨拶を返す。
時折、「朝早くからお疲れ様でございますね」「朝早くからお元気でございます!」などというやり取りも交わしつつ。
ここでは皆が山彦としての響子を見てくれている。恐れられているかといえば疑問であったが、それでもあの無音の世界とは比べるべくもない。
「響子ちゃんおはよー!」
「お花ちゃんおはよー!」
一通り掃き掃除が終わると、次は裏手の墓場だ。
普段はあまり人のいる場所ではないが、だからといって綺麗にしておかなくてもいいということにはならない。
ここでは返す声もなく静かなので、響子としてはあまり好きな場所ではないのだが、仕事は仕事だ。気合を入れ直し、箒を構えたところで気づいた。
「あれっ」
墓地の中ほどに独り、立っている女がいた。
その光景をどこか奇妙に感じた響子は、ほどなくして頷く。
墓参りに訪れた者であれば当然どこかの墓の前にいるはずだし、墓石の掃除をしたり花を供えたり交換したり、とにかく何らかの動作を見せるはずなのだ。
ところがその女は動かず、立っているというよりは、ただ立ち尽くしているだけという風に見えた。
「……」
訝しみながらも近寄った響子に、しかし立ち尽くす女は何も話し掛けて来ようとはしない。それどころか、視線を響子の方へ向けることすらしなかった。
「……あ、あのぅ」
さすがに不審としか言いようがなかったので、響子は諦めて自分から声を掛けた。
そこで、ようやく立ち尽くしていた彼女は響子の方に顔を向けた。否、身体ごと響子の方を向いた。まるで錆びついたような動作だった。
「どちら様でしょうか」
その問いに、女は一言「……よしか」とだけ呟いた。
顔に御札のようなものの貼り付いた、奇妙な風体であった。
正面から彼女の顔を――瞳を見た響子は、思わず身を竦ませる。
「……!」
その虚ろでどこまでも昏い瞳を、かつて響子は見たことがあった。
「ヤマビコは単なる音波の反響だ」と、その存在を否定された同胞たちが、消え去る前に見せていたものと、同じだった。
自分の存在を見失い、返る言葉も返す言葉も失った、空虚な闇だった。
「……あー、じゃあな」
そのまま何をするでもなく、よしかと名乗った女はカクカクとした奇妙な動きで去っていった。
その後ろ姿を見るともなく見ていた響子は、ほどなくして地面にへたり込んだ。
「うぅ……やなこと、思い出しちゃった」
響子は身震いし、自身の身体を腕でさすりながら立ち上がる。
そうして掃除もそこそこに、寺から帰る参詣客の声を求め、表参道へと足早に戻るのであった。
そこに溢れる「声」が、何よりも恋しかった。
~完~
●『声と瞳』 かじつ
かじつ (2013-02-04 00:19:12)
どうぞ。
K.M (2013-02-04 00:19:48)
よしかちゃんはおにんぎょうさん
百円玉 (2013-02-04 00:19:50)
最初芳香が幽霊みたいで不気味でした
かぼちゃ (2013-02-04 00:20:01)
ほのぼの→少し恐ろしく
生煮え(参加 (2013-02-04 00:20:07)
かじつさんだからと難しそうな響子を投げたけど、上手く纏まってた
這い寄る妖怪(参加) (2013-02-04 00:20:59)
ホラー。でもこのよしかちゃんももう少し後(神霊廟本編)ではあんなにアグレッシブなクサレ脳みそに!
かぼちゃ (2013-02-04 00:21:16)
で、怖そうな感じの所で、戻りたいとして最初が効いてくるのがよいと思いました
生煮え(参加 (2013-02-04 00:21:46)
余韻がいいですよね
這い寄る妖怪(参加) (2013-02-04 00:22:08)
物理的にも精神的にもヤマビコする音がない感じがまた。
生煮え(参加 (2013-02-04 00:22:19)
響子だからそれでも少しほのぼのしてしまいますけど
這い寄る妖怪(参加) (2013-02-04 00:23:07)
これよしかが「ちーかよーるなー!」って元気に追い返そうとしたらほのぼのものになるよね。
K.M (2013-02-04 00:23:24)
うん、ただの明るい日常やw
生煮え(参加 (2013-02-04 00:23:27)
ぶちこわしだww
かじつ (2013-02-04 00:23:33)
黙って立っていると怖い女
這い寄る妖怪(参加) (2013-02-04 00:23:45)
黙ってれば美人系
生煮え(参加 (2013-02-04 00:24:14)
いや、でも意外と普段は静かなのかも
かじつ (2013-02-04 00:24:39)
青娥から何か命じられていなければわりと静かなイメージ
百円玉 (2013-02-04 00:24:48)
操り主がいないと目的もなくうろうろうろうろ
生煮え(参加 (2013-02-04 00:24:49)
青娥に命令されてたから本編は活発だったりとか
百円玉 (2013-02-04 00:25:42)
そして無意識に恐怖を振り撒く
K.M (2013-02-04 00:25:47)
活発に、と指示されたらアグレッシブに。静かに、と指示されたらローテンションに。 やはり自我の薄さというのは不気味さありますね
生煮え(参加 (2013-02-04 00:26:19)
> よしかと名乗った女はカクカクとした奇妙な動きで去っていった。 でもこのあたりはコミカル
かぼちゃ (2013-02-04 00:26:20)
何も考えていないキャラですからね
這い寄る妖怪(参加) (2013-02-04 00:26:29)
いやね、これ見てたせーがさんがね、「あらやだ!これじゃあよしかちゃん嫌われちゃうわ!」って腐ってない脳みそに入れ替えたんだよきっと。
百円玉 (2013-02-04 00:26:47)
僕の中の芳香ちゃんのイメージがぴったりきてました
かじつ (2013-02-04 00:26:47)
脳味噌までチェンジ可能なのか……
生煮え(参加 (2013-02-04 00:27:03)
どうせすぐに腐る
かぼちゃ (2013-02-04 00:27:35)
どちらも受け身の存在というのは繋がっているんですかね
かじつ (2013-02-04 00:27:36)
口授の芳香はどちらかと言えばホラー・哀しみ寄りな気もしますね。
K.M (2013-02-04 00:27:38)
防腐処置したら知能は低下するんかマシになるのか
百円玉 (2013-02-04 00:27:51)
でもイメージ映像が鳥居みゆきになった
かぼちゃ (2013-02-04 00:27:59)
「響子ちゃんおはよー!」 「お花ちゃんおはよー!」
かぼちゃ (2013-02-04 00:28:27)
あたりで単に返すだけでなくて会話なのが、受け身でもプラス感なのかとも思ったり
かじつ (2013-02-04 00:28:53)
最初,山彦だから返すしかできないかと思いかけたのだけど
かじつ (2013-02-04 00:29:02)
神霊廟で普通に話し掛けてきますよね。
K.M (2013-02-04 00:29:07)
ですね
かじつ (2013-02-04 00:29:17)
話せるじゃん! ってなった。
百円玉 (2013-02-04 00:29:41)
元気そう
かぼちゃ (2013-02-04 00:29:59)
「いまなんじー!」
百円玉 (2013-02-04 00:30:18)
「そうねだいたいねー!」
かぼちゃ (2013-02-04 00:30:34)
みたいに出来るのが山彦だそうですし
生煮え(参加 (2013-02-04 00:30:36)
その後の下りが、雰囲気を変えるための誘導になってたと、今気付いた
かぼちゃ (2013-02-04 00:31:21)
音が無くなっていく
かじつ (2013-02-04 00:32:10)
表参道と墓地との対比ですね
K.M (2013-02-04 00:32:26)
喧騒と静寂。喧騒が人の住まうあかるい世界なら沈黙は人あらざる者の世界ですか
生煮え(参加 (2013-02-04 00:32:33)
響子にちょっと嫌だなぁと思わせるのが肝要なんだなぁと
矢 (2013-02-04 00:32:41)
対比綺麗でした
かじつ (2013-02-04 00:32:54)
ここで芳香が雄弁だったらさすがにブチ壊し(笑)
這い寄る妖怪(参加) (2013-02-04 00:32:54)
>「……あー、じゃあな」 このせりふ、名乗った時と同じ感じに地の文に埋めたほうがいいと思った
かじつ (2013-02-04 00:33:10)
なるほど。埋めたほうがいいかも知れないですね。
かじつ (2013-02-04 00:33:21)
といったところでそろそろ次かな。
かじつ (2013-02-04 00:33:25)
ありがとうございました。
K.M (2013-02-04 00:33:37)
お疲れさまでしたー