その日、私はいつものように店番をしていた。しかしお客さんはまったくと言って良いほどやって来ない。心地の良い陽気だったから、みんな桜やら何やら見に行っているんだろう。こんな時期にわざわざ貸本屋なんかに足を運ぶ人はいない。
そんなわけであまりにも暇だった私は、お昼を過ぎた辺りでついうとうととしてしまった。そんな時のことだ。ぱしゃりという音が響いて、私の意識を一気に覚醒させた。
お客さんだろうかと私が慌てて顔を上げると、そこにいたのはカメラを構えた阿求だった。「ふっふっふ、決定的な瞬間を撮らえたわ」とか言って口の端をつり上げながら、「この写真を親に見せられたくなかったら、熱々のお茶とそれに合うお菓子を今すぐに持ってきなさい」
そんな風に少し芝居めかして言って寄越す彼女に私はため息を吐く。
「驚かさないでよ。びっくりしたじゃない」
「ごめんごめん。でも、店番してる最中に居眠りしちゃだめでしょう」
阿求は悪戯っぽく微笑む。私は彼女の要求通りの物を持ってくると、気になっていたことを訊く。
「そのカメラ、どうしたの?」
「いいでしょう。この前買い物に出かけた時に見かけて、ついつい欲しくなったから、その場で買っちゃった」
私は「へー」と気の抜けた返事をする。カメラなんてものは高級品だ。それを衝動買いしてしまえる稗田家の財力に今更ながら溜息が出る。阿求は「ねえ、どう? 格好良いでしょう」と新品のカメラを見せびらかせて来る。
「うん、そうね。格好良いと思う」
「何よー。もう少し気持ちを込めて言ってくれてもいいじゃない」
彼女は不満そうな顔を私に向けて来る。
「でもどうせ、すぐに飽きるでしょ?」
「そんなことないわよ。失礼な。私はこれからこのカメラで色々な写真を撮って、それをアルバムに収めようと思ってるんだから。部屋中がアルバムで埋まるくらいに撮って撮って撮りまくるつもりよ」
「あー、はい、そうですか」
と私は適当な返事をする。衝動買いというのは得てして長続きしないものだ。阿求のカメラも、どうせすぐに倉庫にしまわれる運命だろうと、その時の私は思っていた。
しかし、そんな私の予想は外れることになる。
それから一ヶ月ほど経ったある日、また阿求が私の許を訪れた。
「ねえ、見て見て」
とその日の彼女が見せびらかせて来たのはアルバムだった。彼女はこの一ヶ月の間、毎日のように写真を撮っていたらしい。そしてそれをまとめたのが、このアルバムとのこと。適当にぱらぱらとめくってみると、確かにびっしりと写真で埋め尽くされていて、私は驚く。
「すごい。本当に写真撮ってたんだ。てっきり三日坊主になるかと思ってたのに」
「だから言ったでしょう。部屋中がアルバムで埋まるくらいに写真を撮るって」
阿求はちょっと自慢げだった。私は「ふむう」と頷いて、最初のページから一枚一枚の写真に目を通していく。
阿求の屋敷に生えている一本松。阿求の屋敷の長い廊下。阿求の自室にある達筆な掛け軸。豪勢な食事を頬張る阿求。阿求の書いている幻想郷縁起。阿求の屋敷の大きな台所。自室の真ん中でピースサインをして見せる阿求。阿求の屋敷で働いている美人な女中さん。阿求の屋敷の中の……。
「……ってこれ、全部あんたの家の中の写真じゃないの!」
「うん、そうよ」
「何でよ! 外の写真は? カメラ買った時、桜が咲いてたよね!?」
「う~ん、桜の写真も撮りに行こうかと思ったんだけど、それよりも屋敷の中の写真を撮ることに夢中になっちゃって」
私はため息を吐く。
「まあ、いいわ。阿求が何を撮ろうが、勝ってだもの。でもね、一ついいかしら。なんで、ちょいちょい阿求自身が映ってる写真があるのよ?」
「え、自分を撮っても別におかしくないわよね」
「確かにそうだけど! でも、そう言う場合って、どこかに出かけた時とか、みんなと一緒にいる時とか、そう言う時でしょ。わざわざ自分の家の中で、自分の写真を撮ったりしないわよ」
私が指摘すると、彼女は「うーん、そうかなあ」と首を傾げてみせる。
「言われてみると、確かにそうかも……?」
「そうかも……? じゃなくてそうなの。まったく」
私はすっかり呆れ果てる。
「そっか。わかった。じゃあ、次は外の写真を撮って来ることにするわ。ばっちり良い感じの写真たくさん撮ってくるから、期待しててね」
と彼女はアルバムを閉じると、それを腕に抱えてすぐに店の扉を開けて出ていった。私はその背中を見送った後、ふうと一つため息を吐いた。次に彼女がどんな写真を見せてくれるのか、ほんの少しだけ楽しみにしながら。
六月に入り、すっかり夏の気配が強くなった。日中はとにかく蒸し暑さを感じる。いつものように私は店番を任されている。こんな暑い日にわざわざ貸本屋に訪れる人もいない。そんなわけで暇だったのだけど、冷えた麦茶で喉を潤わせて、コップを机の上に置いたのと同時に、店の扉が開いた。
「待たせたわね。ようやくできたわ」
急いでここまでやって来たのか、彼女は額に汗を浮かばせていた。私は苦笑しながら、「ちょっと待ってね」と言ってその場を離れれると、氷を入れた麦茶を持ってきてあげた。彼女はそれを喜んで、一息に飲み干した。
「それで、満足のいく写真は撮れたの?」
私が尋ねると、彼女は満面の笑みを浮かべて、
「ええ、もちろん。ばっちりよ。ほら、見て頂戴な」
阿求はそう言うと、アルバムを机の上に置いた。心なしか前回よりも分厚くなっているような気がする。私はさっそくアルバムを開く。
そこに収められていた写真は、確かに外で撮られたものだった。
前回の反省を活かしたのか、里のあちらこちらで写真が撮られていた。里の大通りで行き交う多くの人々。店先で客を呼び込もうと精を出している商人。母と娘が手を繋いで楽しそうに歩いている細道。里を流れる大きな川に架かる橋と柳の木。それから、私も良く食べに行く甘味所で美味しいそうにお団子を頬張る阿求。
思わず、ふふ、と笑い声が漏れる。
「やっぱり今回も自分を写してきたかー」
「今回は外で撮ってるから、いいでしょう?」
「まあ、そうね。でも、ここに行ったなら私も誘いなさいよ。私だってお団子食べたいんだから」
「だーめ。それじゃあ、私がどんな写真を撮ったかばれちゃうでしょ。私ね、こうやって撮った写真を小鈴に見せるの、結構楽しみにしてたんだから」
そう言われて、私は少しだけ照れてしまった。私も実は楽しみにしてたよ、なんて言ったら、彼女はどんな反応を見せるだろうか。恥ずかしいから絶対に言わないけれど。
阿求は私の方へ顔を近づけて、
「それで、どう? 今回の写真の感想は」
「ん、そうね。前回よりは明らかに良くなってると思うわ。どれも良い写真ね」
私が言うと、彼女は満足そうに、にっこりと微笑んだ。
「そっかそっか。良かったぁ」
「でも、どの写真も見覚えのある場所ね。もっと遠くの方までは行かなかったんだ」
「うん、私ね、日常の写真を撮りたかったの。特別綺麗な景色とか、特別面白い出来事とか、そんな写真よりも、私にとってのありふれた風景を撮りたいな、って」
阿求がふいに真面目な顔をして言うものだから、私は言葉を失ってその顔をまっすぐに見つめる。アルバムに収められた写真に目を向け、それを何か愛おしむかのようにじっと見つめている彼女の横顔は、なぜか私の記憶にまるで写真のようにはっきりと刻まれた。
「日常の風景?」
私はようやくそこで口を開いた。
「うん、そう。日常の風景。私はこの日常がすごく好きだから。……あ、そうだ」
と、彼女は何か思い出したかのように背中にしょっていた鞄を漁ると、そこからカメラを取り出した。それから何をするかと思っていると、阿求は私の横に並ぶと頬と頬がくっつくくらいの距離まで顔を近づけてから、
「はい、チーズ」
そう言って、右手で持ったカメラに向かって微笑む。私もつられてぎこちなくだけど笑った。
ぱしゃりという音と共に、シャッターが落ちる。
「私の日常の中には、やっぱり小鈴が入ってなくちゃね」
そう言う彼女は本当に楽しそうで、今度はぎこちなくではなく自然と笑みがこぼれた。
あれから、長い年月が経った。
阿求はその間に本当にたくさんの写真撮った。アルバムに収めては私の許へ持ってきて見せびらかすから、彼女が撮った写真のほとんどに目を通していると思う。
こうして彼女の部屋に置かれた大量のアルバムを見ると、今までの思い出が蘇ってくる。部屋の半分は埋め尽くそうかというくらいなのだから、相当な量の写真を撮ったのだろう。すぐに飽きると思っていた私の予想は、完全に外れたわけだ。
私はそんなアルバムだらけの部屋の中央で、静かにたたずんでいた。しーんと静まりかえった部屋は、主を失ったことを悲しんでいるかのようにすら思えてくる。
そう、阿求はついこの間、亡くなった。死ぬ間際まで彼女は写真を見せて来たし、その写真の中では彼女が楽しそうに笑っているので、きっと満足のいく人生だったのだろう。
そんなことを考えていると、後ろの襖の開く音がする。振り返ると、ずっと昔に阿求が写真に撮った女中さんだった。当然ながらあの時よりも年を取ってはいるが、今でも十分に美人だ。
「気持ちの整理はつきましたか?」
その質問に、私は少しの間黙った。それから、
「わかりません。今でも信じられないというのが、素直な気持ちです」
私が言うと、彼女は頷く。
「ええ、私も実はそうなんです。こうなることはわかっていたはずなのに、いざこうして彼女がいなくなってしまうと、なかなか受け入れられないものですね」
それから、私たちは黙った。暗い沈黙が部屋を満たす。アルバムが目に入る。ふと昔阿求が言っていたことを思い出す。
「昔、阿求がこんなことを言っていたんです。部屋中がアルバムで埋まるくらい写真を撮ってやる、って」
すると、女中はおかしそうに頬を緩めた。
「そうですか。そんなことを……。半分ほどは埋まってしまいましたね」
「でも、半分は埋まっていない。できれば、後半分は……、後半分を埋めるくらいは生きていて欲しかったです」
「小鈴さん。実は貴方に渡して欲しいと、彼女に言われているものがあるんです」
何ですか、と私が訊くと、女中が取り出したのは一枚の写真だった。
「あの人は、日常の風景ばかり撮っていました。それは貴方も知っていますね。ではなぜ彼女はそんな写真ばかり撮っていたか、知っていますか?」
私は黙って首を横に振った。
「それはですね、日常の中に、自分が確かに存在したのだと、ずっと覚えていて欲しかったから。自分が死んだ後も、忘れられないように形ある物として残して起きたかったからなんですよ」
ああ、せっかく今まで我慢してきたのに。彼女の葬式でもずっとずっと我慢していたのに。
「そして、この写真は彼女が一番大切にしていたものです。どうか大切にしてやってください」
その言葉と共に手渡された写真。それを見た私は、人目もはばからずに泣き崩れてしまった。
1381 主催 (46分まで 2014/04/20(日) 22:31:57
1382 あめの ストレートな死にネタを書こうと思いました。できるだけ感情移入させようと自分なりに書いてみたのですが、ど
うだったでしょうか 2014/04/20(日) 22:32:33
1383 主催 これは、わりとストレートに来たような印象でした 2014/04/20(日) 22:32:49
1384 かぼちゃ ストレート 2014/04/20(日) 22:33:18
1385 K.M 写真、そしてそれ自体が悲しみを想起させる、とお題の文章に対し王道という感じですね。 2014/04/20(日)
22:33:41
1386 かぼちゃ お題有りもあって、良くも悪くも、落ちが完全にわかるのはありますね 2014/04/20(日) 22:33:43
1387 主催 僕としては、感情移入は問題無く思いました 2014/04/20(日) 22:34:04
1388 主催 >>1386そこなんですよね。わざとオチを知らないフリで読んでいましたけど 2014/04/20(日) 22:34:38
1389 I・B オチがわかっているからこその感情移入というか、オチがわかっている分展開に胸が痛くなっていくのが、かぼちゃ
さんの言うところの「いいところ」かなと思います。 2014/04/20(日) 22:35:22
1390 あめの オチがわかるのは、ごめんなさいw でも、私は感情移入という部分をいかにしてやるか、みたいなのが今回の目
標でした 2014/04/20(日) 22:35:36
1391 かぼちゃ ただ、お題が無くても阿求が自分の姿を写真に残したい理由。で、この落ちは真っ先に見えると思うので
2014/04/20(日) 22:35:43
1392 I・B (職権乱用準備完了しました 2014/04/20(日) 22:35:44
1393 K.M 積み重ねて積み重ねて積み重ねて、あの言葉ですからね 2014/04/20(日) 22:35:49
1394 K.M (準備お疲れ様です 2014/04/20(日) 22:35:59
1395 主催 ただちょっと難しかったのが、最後の写真がいつの写真だったのかよくわからないかなとも 2014/04/20(日)
22:36:11
1396 かぼちゃ 最終的にそうなるにしても、ダミーというか寄り道というかが有った方がよいと思えました 2014/04/20(日)
22:36:27
1397 あめの >>1395ですよね。そこは時間がなくて、申し訳ないと 2014/04/20(日) 22:36:31
1398 主催 小鈴が居眠りしてる写真なのか、小鈴と阿求が一緒に撮った写真なのか、の二択でしょうが 2014/04/20(日)
22:37:00
1399 主催 >>1397いえ、お題を考えた奴が無茶なんですよ。誰だまったく! 2014/04/20(日) 22:37:54
1400 名無しT お題が読めてしまうのは既出の通り。感情移入については、一番それが来るであろう阿求死後の話が割りとあっ
さり終わってしまったことや、あと小鈴にしてもこの時点では良い年になってるのだから阿求がなぜ日常を写していたか教えられるまで
もなく察せてるんじゃないかなぁ、と。特に親友ポジでなら。 2014/04/20(日) 22:37:57
1401 I・B 実は○○でしたが一つくらいあっても良かったかも。 2014/04/20(日) 22:38:37
1402 かぼちゃ 小鈴が阿求の死をどこまで実感しているのか掴みにくいのかも 2014/04/20(日) 22:39:03
1403 かぼちゃ >こうなることはわかっていたはずなのに、いざこうして彼女がいなくなってしまうと、なかなか受け入れられ
ないものですね 2014/04/20(日) 22:39:19
1404 主催 阿求が自分を積極的に写そうとしてたのが、それかなぁと >実は○○ 2014/04/20(日) 22:39:29
1405 かぼちゃ 最終的にはこれですが、写真を撮っているところからラストだと「長年」という時間が経っていて
2014/04/20(日) 22:39:51
1406 名無しT 最後に見せられた写真についても、前半部分が阿求が写真を撮り始めたこととその中身についての説明で終わっ
てしまって、ここに最後に見せるであろう写真を撮影している光景や写真の図を推測させる一文が入れられたんじゃないかなと思いまし
た。 2014/04/20(日) 22:41:04
1407 かぼちゃ いつの段階でわかっていたかで、阿求を見る小鈴の思いが異なってくる 2014/04/20(日) 22:41:20
1408 かぼちゃ 写真を撮っている前半→最後の小鈴の思い 2014/04/20(日) 22:41:44
1409 K.M 一応、容量的には1.3倍くらいは余裕あったんですね 2014/04/20(日) 22:41:46
1410 あめの 阿求の死後については、自分でも圧倒的に書き足りないとは思っていました。すごく悔しいところです
2014/04/20(日) 22:42:09
1411 主催 容量的にはどうでしょう? 12kbを想定して話を考えたでしょうけど、無制限だったらもっと違う話にしてたよ、と
かは 2014/04/20(日) 22:42:13
1412 あめの >>1411ストレートな死にネタを目指していたので、その部分は変わりないですが、もう少しラストに向けて色々と
書き足してはいました 2014/04/20(日) 22:43:06
1413 I・B (あ、私終電の関係で24:00までしかここにいられないことが判明しましたごめんなさい 2014/04/20(日)
22:43:27
1414 あめの 容量が気になって、なかなか書きたいものが書けなかったというのもあります 2014/04/20(日) 22:43:29
1415 主催 なるほど 2014/04/20(日) 22:44:07
1416 かぼちゃ 作品で書かれていることは、長年の友情の一コマ 2014/04/20(日) 22:44:08
1417 あめの 話の筋自体はほとんど変わらないと思いますけれどね 2014/04/20(日) 22:44:16
1418 かぼちゃ 他の日でも代用が効く 2014/04/20(日) 22:44:21
1419 かぼちゃ そうすると、この日だからこそ、という劇的な何かが有るとスパイスになるのかもしれません
2014/04/20(日) 22:44:44
1420 名無しT 一周忌とかね。 2014/04/20(日) 22:45:02
1421 I・B なるほど 2014/04/20(日) 22:45:15
1422 あめの そうですね。私も書いていて思いましたが、そこは私の実力がまだまだだったな、と。 2014/04/20(日)
22:45:18
1423 主催 写真に写っているもの自体は、なんでもない日常のほうがいいかな 2014/04/20(日) 22:45:49
1424 主催 時間です、あめのさん最後になにか? 2014/04/20(日) 22:46:35
1425 あめの なかなか自分の思うように物語が書けなくて悔しい! 2014/04/20(日) 22:47:00
1426 あめの 以上です 2014/04/20(日) 22:47:03
1427 K.M お疲れ様でした。 2014/04/20(日) 22:47:09
1428 主催 はいw みんなそうだとおもいますけどね 2014/04/20(日) 22:47:23
1429 あめの お疲れまでしたありがとうございます 2014/04/20(日) 22:47:27
1430 I・B おつつ 2014/04/20(日) 22:47:31