「やー、綺麗なお姉さん。どう? 俺と軽くお茶でもしない? 近くに、良い店知っているんだよねー」
傍目にも判りやすい打算を滲ませた軽薄な笑みを浮かべ、中身の無い誘い文句を口にする軟派な若者を、風見幽香は、冷たい視線で一瞥すると同時、これ以上ない程に明確な拒絶の言葉を叩き付けた。
「あらあら、うふふ。失せなさい、クソ野郎。一昨日きやがれ」
言葉のみならず、芸術的なアッパーカットが刹那の間さえおかずに炸裂する。
憐れ、ナンパ成功率八割を超えることで悪友達の間で、「マジカッケーっす! 翡翠さん!」とまで呼ばれた超絶イケメン男子こと早苗月翡翠(仮名)は、鼻血とか砕け散った歯の欠片とか、そのた諸々の人体から零れ落ちてはいけないような諸々の内蔵物を撒き散らしながら、憐れ、大空のお星さまへと成り果てた。
もっとも、たった今、幻想郷の天体を一つ増やしてみせるという偉業を成し遂げた緑髪の少女に、そのような瑣末ごとに、いちいち関わっている余裕は無い。
幻想郷における数多の妖怪たちの中でも屈指の実力者として知られる、大輪と咲き誇る花の如き美貌の妖怪、風見幽香は、今、退き指しならない状態にあった。
一見して、いつもと変わらぬアルカイック・スマイルを浮かべた余裕の態度の裏で、内心は冷や汗が滝の様に流れ落ちている。
いつもなら、軽く片手間にあしらえる程度の軽薄な軟派男の態度にも、過剰な防衛反応を見せてしまう程に。
ここは人間の里。
多くの商店が立ち並び、雲霞のごとき群集が行きかう大通りの只中である。
幽香は、里の者達の往来を眺めやりながら、もう何時間も、有名な彫刻家が里に寄贈したという、何をモチーフにしているのかも判らない様な、不可解なオブジェに背中を預けていた。
そこは、外の世界で喩えるならば、駅前広場に置かれている、どう考えても景観を損ねているとしか見えぬ不可解な彫刻の前にも等しい。
つまりは、待ち合わせ場所として利用されやすい目印のある場所である。
事実、彼女の周囲には、誰かと待ち合わせているであろう人や妖怪たちの姿が“ちらほら”と見受けられる。
そんな場所で、一目を引く美貌の持ち主が、何をするでもなく数時間も待ちぼうけを食らっている。
これは、見る者によっては、誰かに誘われるのを待っている軽い女と取られかねない光景であるのは間違いない。
なにを勘違いしてしまったか、自らの分もわきまえず、彼女に声を掛けては玉砕し屍を晒す事になった男達の――ちなみに、さっき星に変わった男が最初の一人と言うわけでは無かった――気持ちも、判らないではない。
しかし、幽香は、何も好き好んでこのような場所に立ち尽くしている訳では無い。
変てこなオブジェに背中を預けたまま、“ぴくり”とも動かないのは、それなりの理由があっての事だった。
「……ふっ」
幽香の和えかな唇から、自嘲めいた溜息が漏れる。
人目が無ければ、涙の一つでも流したい気分だった。
しかし、そのような無様を人目に晒すことは、己の背負う幻想郷屈指の実力者という看板が、そして何よりも、彼女自身のプライドが許しはしない。
とは云え、何時までもこうしていれないの事実。
そして、動くわけにもいかないのも、また事実であった。
誰かに助けを求められるくらい、自分が可愛くて素直な性格をしていればなと、ふと思う。
もう、いっそ、何もかも曝け出してしまった方が、楽になれるのではないかという危険な誘惑が、心の底で首をもたげる。
しかし――。
「いえるわけ、ないじゃない。ねぇ……?」
幽香は、嫌になるぐらいに青い空を見上げ、うんざりとしたように、周囲には聞こえぬほどに小さな声で吐き捨てた。
「まさか……スカートの後ろを、引っ掛けて破いてしまっただなんて……」
幽香の身に、鴉天狗ほどの速さが備わっていれば、無残に引き裂かれたスカートの中の下着を衆目に晒す前に、自宅に飛んで帰ることもできたのだろが。
それは、無いものねだりというものだろう。
「ああ……お尻がスースーする。うう……私は、一体、いつまでここにいればいいのよ……」
真冬の風は、幽香の身体にも、心にも冷たかった。